研究所の正式名称は"European Organization for Nuclear Research" (欧州原子核研究機構)だと言うことがここに来て初めて知った.それ がどうして「CERN」なのか,私は知らない.今まで,「Center of ...」 の略だと思っていた.(私のCERNについての知識は実はその程度のもの なだ.)ここのパンフレットによれば,CERNの職員は約2500名とある. 関与している自然科学者の数は約6500名と書かれているが,どんな 数え方をしているのかは知らない.
この研究所の目的は,高エネルギー物理学の研究にある.欧州各国 が分担金を出し運営をしている.その豊富な資金のもとで,巨大な 加速器(素粒子を衝突させて素粒子のいろいろな性質を探る)を 用いた研究を行っている.しかし,一般の方々にはそのような研究 はなじみが薄いと思う.ここでは,さらに,その研究に必要なあり とあらゆる技術開発も同時に行われている.ここで World Wide Web (WWW) の技術が開発された(1990年)ことは物理を専門としない方々 でもよくご存じのことだろう.
ここはジュネーブ市と言っても,その郊外で,スイスとフランスの 国境上にある.研究所の敷地での規模は,日本の地方の国立 大学程度と思えばよい.(それよりはもう少し大きいかもしれない. 後述するように,もう一ヶ所,別のところにも研究所があるので.) 私の属している「理論部」はスイス側にゲートを持っている. しかし,研究所構内に国境が走っていて,ここの敷地の半分くらいは フランス側にはみだしている.地図の上ではそうなっているのだが, 研究所構内ではそのような国境を示す表示は全く見あたらない.その 代わり,ここは一種の治外法権の独立国家だと想像していただければ よい.研究所構内は厳重な高い金属柵(塀)によって囲まれている. この研究所には,外部の人は手続きをしてIDカード(1日のみ有効) をもらわない限り入れない.長期滞在者は写真入りの本格的身分証 明書(いわゆる胸にぶら下げる名札タイプ)をもらわねばならない. 私もこれをもらったが,これをなくすると,構内から出ること も入ることもできなくなる.土・日は私の身分を証明してくれる秘書 さんもいなくなるので,この名札を紛失しないかとちょっと緊張する.
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緑線で囲まれた部分が,研究所の管轄区域. と言っても,フェンスに囲まれた,狭い意味での研究所の敷地 (部外者立ち入り禁止区域)は黒線で囲まれたほんのごく一部. 緑線で囲まれた内部には,いくつもの村々があり,普通の 生活がなされている. 区域内右下に見える飛行場は,ジュネーブ国際空港.
赤のラインがスイスとフランスの国境線. 研究所の正門は地図の下方,CERNと書かれた文字の「C」の近く. 正門はスイス側だが,地図から分かるように,敷地のほとんどが, フランス側にある.
オレンジの大きなサークルが LEPと呼ばれる電子・陽電子衝突型 加速器で,全長 26.7 km ある.(ちなみに,日本のTRISTANと呼ばれた 同型加速器の全長は 3.02 km.)なお,2007年からは,同じリングを利用して, LHCと呼ばれる陽子・陽子衝突型加速器が稼働予定.(2007年5月現在の 見通しでは,実質的稼働は2008年春と言われている.)
地図の左上の等高線が混み合った部分が,ジュラ山脈.
また,LEPという名前の円形の加速器は,そのリング全長が28kmある. そのリングのごく一部がスイス領にあるだけで,大部分はフランス領内 を走っている.このリングで囲まれた巨大な地域全体がこの研究所の 敷地であるわけはなく,研究所の敷地はそのリングのほんの1点上に 乗っているに過ぎない.あとは,その巨大加速器の上(およびその リング内)に,いろいろな市や町,村が点在していることになる.--- みんな自分たちの下に,そんなものが走っているなんて,ご存じなの かしら?
加速器模型
研究所には,銀行,郵便局,消防,救急医療センター,旅行代理 店,ともかく,なんでもそろっている.むろん,宿舎はホテル並み に豪華で,ともかく,ここで暮らしていると,外の世界へは出たい などと思わなくなる.ジュネーブの街まではバスで30分なので, 2度ほど出かけたのだが,各々2時間ほど歩いただけですっかり退屈 してしまい,すぐに研究所へ戻ってしまった.よく「塀の中の生活に 慣れてしまった人は,娑婆では生活ができなくてすぐに塀の中に戻っ てしまう」と言われるが,そんな感じ.私もこの後,無事社会復帰が できるか心配している.
(注:この記述は9月中頃のもの.日曜日に外出しても,商店は, 土産物店を含めて,一切閉じている.買い物をしたいのなら, せめて土曜日に外出しなければならないことを悟った. 残り最後の1ヶ月は,博物館巡りなど,結構,土・日は,街に出まくった.)
スイスは4つの言語地域からなる(ドイツ語,イタリア語,フラ ンス語,ロマンシュ語).ジュネーブはフランス語圏に属する. 宿舎のコインランドリーの説明文もまるで読めない言葉で書いてある. おかげで,適当にやってみたが,ずいぶんコインを無駄にし,高い 授業料を払う羽目になった.研究所の食堂でも,「ウィ!ムシュ!」 と威勢よくコックが応じてはくれるが,こちらが食べたいと思った ものを正しく皿に盛ってくれたことはほとんどない.「少しは英語 くらい勉強しとけよ!」と言いたいところだが,こちらも別に特に 食べたいものがあるわけでもなく,まあいいかと思って諦めている.
日本からラジオを持参して来ていたので,ダイヤルを回したら, 英語の放送もやっているではないか! 思わず懐かしくて,しばらく 聞き入ってしまった.しかし,まもなく気がついた.そうか, そう言えば俺は英語もやっぱりダメだったんだっけ.--- 結局,ラジオ を聞くのもそれで止めてしまった.
所内での公的な物理の会合(セミナーなど)はむろん英語.しか し,私にはよく分からないことの方が多い.それは,私の専門とは 異なる話題であるからであり,語学以前の問題である.各研究室に はそれぞれの国の出身の人達が集まって,お国言葉での討論が行わ れたりすることも多い.私の研究室の真向かいはロシアからの方ら しく,エリツィンが2・3人いるかのよう大きなだみ声での討論が いつも聞こえる.私にとって,クレムリンはもう少し離れた距離に あった方がありがたい.
図書館: 言うまでもなく,物理のすべての文献が揃っている. 入館にはIDカートでも必要かと思ったが,その必要なし.また, コピーはとり放題.(IDカードを差し込んでというようなことも ない.)静岡では活字の文献(物理の雑誌)は見れなかったので, これはありがたい.
セミナー(講演会): 週に1・2回,いろいろのテーマで 1時間程度の講演会がある.我々の世界はOHPが主流.ときどき 若い人が PowerPoint なるものを使うけれど,これはまだ少数 派.(注:これを書いたとき,2002年はまだそうだったのだが, 2005年頃からは,物理の世界も PowerPointを使う方が主流はと なってしまった.今頃,OHPを使うと,遅れているとバカにされる.) しかし,ごく最近印象に残っているのは,どこかの老先生が 講演をされたとき.彼は,黒板を使って,話を始めた.始めは ぼそぼそとした小声で話し出したのに,だんだん声が大きく なって,ついついこちらも引き込まれてしまう.我々の顔を 見回しながら,ゆっくり一語一語語りかけるように話す.その 荘厳な感じにすっかりしびれてしまい(内容の理解は別として), ああ,ヨーロッパの大学の講義はこんな感じなのかしらと思った. (実際には,後で分かったのだが,彼はカリフォルニア大学の 先生であった.でもお名前がシュワルツ先生とあったので, やはりヨーロッパ系であろう.)
自動販売機事情: こちらの自動販売機は利口にできている. いかに金を稼ぐかをよく心得ている. 例えば,ほとんどの自動販売機はおつりがでない. うっかり大きな額のコインをいれても,それはチップと理解して, マシンは決して返金してくれない.例えば,バスの切符の自動販 売機(バスの中では買うことができない.持たずに乗車すると, かなり高額の罰金をとられる羽目になる)は,CERNからジュネーブ 中央駅まで 2.20SF だが,必ず 2SFコインと 0.20SFコインを入れ ねばならない.0.20SFの代わりに 0.10SFコインを2つ入れてみたが, はじき返されてしまった.ずいぶん律儀なマシンである.だから, 街に出て,再びバスで帰りたかったら,必ず 2SFコインと 0.20SF コインを財布の中に残しておかねばならない.私は,街にでるとき には,財布とは別のところに非常用にと 2SFコインと 0.20SFコイン を入れて持ち歩るくことにしている.我が家に無事帰るためのお守り みたいなものである.それから,宿舎の洗濯機.これは0.20SFコイン のみ受け付ける律儀者なのだが,0.20SFで11分動いてくれる.ところ が,洗濯機のプログラムは11分の倍数ではなく,例えば,45分だった りする.すると,0.20SFコイン4枚では1分不足である.もう1枚, たった1分のために入れねばならない(さもないと,ドアが開か ない).万事このような状態なので,あまり自動の機械は利用 したくはない.
パン: 大きく分けて2種類.外側の皮がとびきり頑丈にできて いて,ちょっとやそっとでは歯が立たないタイプ(多分フランス パン系統).もう1つのタイプは逆に皮がパサパサしていて, すぐにボロボロに剥がれてしまうタイプ.食堂のテーブルや イスの上にもこのパン屑だらけになっている.おかげでここいら のスズメはどれもこれも太っている.
コメ: ご飯と思うからいけないのであって,コメという 別の食べ物と思うと,ここのコメもまんざら悪くない.コリコリと していて,木の実か何かの種を食べているような感じ.これだけ 堅ければさぞかし消化もうまくできないであろうし,従って, 低カロリー食品として十分評価できる.これに対して,フライド ポテトなど,油でゴテゴテで,健康によいわけがない!
ビールの値段: グラスでは 2.1SF, 特大ジョッキとなると 3.1SF. しかし,大ジョッキの方が,大きさで約 1.5^2 * 1.2=2.7 倍は あるので,大ジョッキの方がだんぜんお得.しかし,毎日これを 飲んでいては健康にも悪いと思われるので,少なくとも1日おき にとどめることとした.飲まない日は,代わりにワイン(1.7SF) を飲むことにした.ビールもワインも1日おきにしか飲まないのだから, とても健康的な生活が送ることがでた.
国境: 研究所構内を走る国境は自由に横切ることができることは 前にも述べた.(というより,どこが国境線なのかわからない.) では,所外の国境管理はどうなっているのか?
スイスはEU加盟国ではない.従って,建前上は,EU諸国内の移動 とは異なるはずである.EU内の移動はまったく自由と言ってよい くらいに自由であった.オランダでの国際会議に立ち寄ったとき, フランクフルト(ドイツ)で飛行機を乗り換えたのだが,このとき, 空港内でパスポートのチェックがあった.チラッと見るだけで, 質問も荷物検査もやらない.これは乗り換え途中だから,こんなもの かと思った.しかし,オランダではそれこそ全く何もなく,どこかで チェックがあるのかしらと,キョロキョロしながら歩いていたら, いつの間にかもう空港構内から出てしまっていた.オランダから 出国の際も何もなかった.しかし,スイスの入国の際は,一応, 通関の窓口があった.昔アメリカ入国の際は結構面倒だったので, 今回もあれこれ質問されるといやだなと思ったのだが,ただパス ポートを見てスタンプを押しただけで,最後に日本人と確認をした からか,「サヨナラ」と日本語でのリップサービスまでしてくれた のには驚いた.
この研究所にはフランス領側から勤務している人がかなり多いと 聞く.それはジュネーブは物価が高く,フランス領側の方が住み やすいからだそうだ.日本人の研究者で,フランス側にアパートを 借りている人がいた.彼によると,国境を越えるのは,ほとんど フリーパスだと言っていた.しかし,初めての顔や挙動不審者は やはり呼び止められるそうだ.だから彼も,通関の人が新しくなっ たときなど,やはり止められたりすることはあるそう.と言っても, そんなに厳重な調べというレベルではなく,パスポートを軽く見る 程度のようである.スイス側の人も,フランス側にあるスーパーに よく買い物に行くようだ.そんな買い物にいちいち関税をかけたり はしないらしい.ただし,業者が商品として運び込むときにはきち んとした手続きを必要とするらしい.
ほんのちょっとだが欧州旅行を体験して,国境というもの は何なんだろうと考えるようになった.
日本からも,優秀な若い研究者の方々がかなり来ておられる. 日本はここに分担金を出していないから,ここのODF(博士号をとっ た後の若い研究者を支援する制度)にアジア枠はない.彼らはいろ いろのところからのサポートを得て滞在してはいるが,次の年の約束はない. 次の年の生活の目途ははまったくない現状である.(昔,私が文部 省のお金でアメリカのメリーランドにいたころ,そこで学会があり, 全米各地から日本の若い方々が集まってきたことがある.彼らは学 会の後,夜,寿司屋へ行きたがった.私は,アメリカまで来て何も 寿司屋なんてと思ったのだが,名古屋大学から学会に来ていた友人 --彼も長くアメリカやヨーロッパを渡り歩いた経験がある--が私に 言った.「我々には帰るところが保証されているが,彼らはいつ日 本に帰れるのか,その見通しがまったくない.せめて寿司屋で日本 を懐かしみたいのだ」と.ここでの若い優秀な方々を見ていて,昔の この友人の言葉をふと思い出した.)
また,この研究所の将来問題も決して明るいわけではない.スイス 政府もその運営には苦慮しているとも聞いた.日本から来ていた 私の友人は「それより,日本で物理がつぶれる時代が先に来る」 と言って,最近の日本の科学技術優先政策に悲観的なことを言って いた.もともと日本では,「科学技術」はお家芸であっても,サイ エンスはあまり得意ではない.それは,科学技術は目先の器用さで まねはできても,サイエンスはそれを生み出す風土・文化が必要だ からで,ほんの100年や200年のことで,そう簡単に体質が変わる ものではないからだ.だから私も友人の意見に同意せざるを得ない. 欧米でのサイエンスへの政府や一般の人々の理解を肌で感ずると, その歴史の重みを感じ,とうていこのサイエンス家元の国々には 勝てっこないやと思ってしまう.私も,サイエンスが日本に1つの 文化として根付くための何かの役割が果たせればと思っている.