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ウプサラ(Uppsala)大学訪問記

2005年6月28日〜7月7日

2005年6月28日から7月7日まで, 国際会議 Lepton-Photon05に出席のため, スウェーデン,ウプサラ市を訪れた.



ストックホルム観光

7月3日(日)は,会議はお休みで,会議参加者と共にバスで ストックホルムへツアーに出かける. 天気も快晴.(昼間,3時頃,デパートの玄関にある気温計を 見たら 15度Cであった.久々の心地よい暖かさ.)

ノーベル博物館からスタートして,ガムラ・スタンの街を散策. 王宮での衛兵の交代に出くわす. その後,ヴァーサ号博物館へ. あっという間に時間がたち, かなり疲れた.でも,参加してよかった.

以下,ストックホルムでのスナップショットを掲げる.

(左)ノーベル賞,賞状とメダル  (右)受賞後の晩餐会メニュー

(左)ノーベルのデスマスク  (右)小柴さんの受賞のきっかけとなった ニュートリノ観測のための光電子増倍管

旧市街ガムラ・スタンの路地

旧市街ガムラ・スタンの街角にて

王宮での衛兵の交代

「ヴァーサ博物館」はこの日訪れた場所で最大の 興味を引くものであった. 当時,世界最大級と言われた巨大戦艦ヴァーサ(Vasa)号が 展示されている.この船は,1628年8月10日, 処女航海に出かけるための沢山の来賓達が見守るさなか, あっさりと湾内で沈没した.展示の船はその後1961年に 引き上げられたものである.船だけでなく,船に積み込まれて いたものなど,数多くの貴重な資料が展示されている.

この時代の戦艦というものの意味も大変興味深い. 例えば,1620年代末にスウェーデンが失った戦艦15隻の うち,海戦で失ったのはたった2隻で,後の13隻は操行 上の問題から沈没した.当時の風まかせの船では, ストックホルムから外海までの数十キロを航海するのに 1ヶ月もかかることすらあったとのこと. 海戦に加わることなく沈没する船が多いのも,外観上の 壮大さや砲門数にこだわったからで,実戦上の配慮が まるでなされていない. このように,ほとんど実戦に役立たないものに, 当時の北欧諸国は巨額の費用を 費やしていたようだ. 現代の諸国の軍備(あるいはかっての日本の 軍備)にも思い当たるところがあり,大変教訓的なできごと のように思う.

夏を楽しむストックホルムの市民達

かって憧れであったスズキの「カタナ」に お目にかかる.今でも健在とは!


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