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会議(物理)についての雑感


ヤールスコク(Jarlskog)教授の講演

会議の冒頭に,今年は ラザフォード(Rutherford)のノーベル賞受賞100年記念 とかで,彼をたたえるための記念講演がヤールスコク教授によって なされた.(私は知らなかったのだが,ラザフォードは,クライストチャーチ にあるカンタベリー大学の卒業生であった.会場から,ラザフォードの 国籍はどう考えるかとの質問が出て,教授は「当時は,ニュージーランドは イギリスの植民地なので,イギリス人と見なして構わないとの答えだった.) ヤールスコクは,私が物理学研究に携わってまだ駆け出しの頃,すでに 一流の著名人であったが,いまでも劣らぬ「美人女性物理学者」であった. (蛇足ながら,私が挨拶をしたら覚えていてくれたよう.)

彼女の講演はとても興味深かった. スウェーデンで,ノーベル賞受賞者選定の仕事に直接かかわってきた彼女だけ あって,「なぜ,ラザーフォードの受賞は,物理学賞でなく, 化学賞であったのか?」ということについて,詳しいいきさつをデーターで示し, さすがと思われる説得力のあるものであった. 単なるセレモニーのための講演ではあったが,意義深いものであった.

 考えてみると,1900年代は次々と新しい物質が発見されてとても 活気に満ちた時代であったような気がする.現在は,1774年のチャーム の発見以後は何か予想外のものが発見されたことがあったろうか? (チャームですら,あらかじめ理論的予想はあったのだが.)その後の ボトムやトップ,タウの発見は予想通り.1988年のニュートリノの質量 の存在の発見ししても予想通り.何か驚きを持って迎えられた発見なんて なかったように思う.当時の人々は幸せだったなあと思う.

 新しい実験的発見がないのは,現代の社会情勢のためと思う.一つの 実験を行うにも,とてもお金がかかる.従って,実験的冒険は許されない. そうなると,理論的に予想されているものの実験的発見を目指す(計画 する)より手はなくなる.今,巨額な費用をかけてのLHCが始動し始めて いる.これで待望のヒグスやSUSYパートナーが発見されたとしても, 今までの理論の正しさを実証するだけであり,何ら理論的に新しいもの を我々は手にするものではない.もっと意外な発見が許されるような 社会システムが必要かもしれない.


スミルノフ(Smirnov)教授の講演

 本題のニュートリノ物理に入っての最初の講演は スミルノフ による ものであった.(彼は現在はイタリアで活躍しているが,むろん, ロシア人.ニュートリノ振動で物質効果が働くことを1985年に予言. 2002年,その予言の正しさは,日本の KamLAND実験によって確認された. 私は,彼こそ,ノーベル賞に一番近い人物を思っている.) その彼によって,Koide formura の紹介がかなりのウエイトをもってなされたので, 驚き,かつ恐縮した.しかし,逆に言えば,1982年の私の古い話 が持ち出されたということは,今年は物理であまり大きな話題がなかったと いうことを示している.(実際,その後7日間の会議では,理論も実験も, 目新しい話題はほとんどなかったように思う.将来に向けての壮大な 実験計画の報告はあったが.)


会議そのものは,かなりハードなスケジュールであった. 初めの2日間は,夜の10時まで,予定が組まれていて,夜遊びどころでは ない毎日であった.
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